長野県の南端の村々を抜けて、愛知県の豊田市を通り、三重に向かう。
前回の遠征から一月ほどあけて、また三重のSさんを訪ねた。
長野県の猟期の最終日は2/15。
ちなみに三重は1ヵ月先の3/15まで。それまでにあと1回遠征に行けるかどうかというところ。
今猟期の狩猟はもう終わりに近づいている。
豊田市に入るまでの道中、交通規制のかかった工事現場が何ヵ所もあった。
峠を越え、山の間を抜けていく国(酷)道だから、土砂崩落などが多いのだろう。
お得意の片側交互通行規制がかかって、長いときは3分ほど待つ。
信号機を目の前にして待つのは退屈するけど、交通誘導員の人が立っている場合は別だ。
ぶっきらぼうに、いかにも面倒くさそうに、よく判断できないような旗の振り方で誘導をする人もいれば、
キレのある動きと車内にも聞こえてくるぐらいの大きな声で誘導してくれる人もいる。
どちらの人でも、見ていておもしろい。
前者の人は、無線で他の人とやりとりする様子を見ていると、どこか意思疎通のぎこちなさが見て取れる。
後者の人は、滞りがあまりない。
比較してみたら、一定時間内に誘導できる車両の数とかにも差が出るんじゃないだろうか。
誘導されるなら圧倒的に後者の人の方が、こちらも気持ちがいいので、そういう人に誘導してもらえるとても嬉しくなるんだけど、前者の場合でも、あとで誘導歴数年の先輩に(往々にして前者の人は若い傾向にある)どやされる姿を想像して「がんばれ」と勝手に応援している。
あと工事現場には見たこともない重機や機械がたくさんあって、大人ながらテンションがあがる。
下道から高速に切り替え、湾岸沿いを走る。
名古屋港あたりを抜けていくときに、大きな橋を2つか3つ渡るんだけど、その橋も見応えがある。
三重県は茶畑が多い。長野県南端も茶畑が多いが、三重は平地があるから茶畑の面積が広大だ。
遠征中、初日以外は毎日山にでかけた。だけど結局、猪は獲れなかった。
前回の遠征時から変わったことは、猪を獲れる形はできあがってきたということ。その瞬間をイメージできるような場面が数回あった。
「猪狩りの条件は揃っとる。あとはいつ獲るかってだけの話や」
Sさんにもそう言ってもらえた。
まずカイの動きがかなり変わった。
何かの気配を感じ取ったときの挙動。
風に乗って運ばれててきたニオイをキャッチしたときの反応の示し方。
確実に目と鼻の先に獣がいると分かったときの駆け出し方。
これまでは不確かだったカイの感覚がブラッシュアップされて、確信めいたものを認められるようになった。
一度猪にあたって、捲ったことがあった。
捲るというのは、猪と対峙して接触があった、ということ。
猪は止まらず、飛ばれてしまったけど、一番いい流れだった気がしている。
カイが成長したとはいえ、鉄砲持ちの技量なくしては猪は獲れない。
それがぼくの役割なんだけど、前回に引き続き、まだまだだということを思い知った。
そのひとつひとつを上げだすときりがないのだが、そのすべてに共通することは、
”五感の鈍さ”であると思っている。
加えて第六感も…とか言い出すとスピっぽい展開になってしまうのでそれは避けるけど、五感が洗練された先にしかキャッチできないものがある、とも思っている。
以前に、鈴とGPS(ドッグナビ)について書いた記事を投稿したことがある(【4猟期目】単独単犬修行vol.7)
五感の洗練化/鈍化の話は、突き詰めていくと、鈴とGPSの関係性に集約されていることがわかった。
そしてこのテーマの袖をもう少し広げると、ぼくが考えている働き方の話にも通ずるものがある、ということがわかってきた。
これについては別の投稿で詳しく書こうと思う。
話を戻して…
猪を獲ることができなかった要因として、この地域の猪の数が激減してる、ということもある。
「異常事態や」とSさんは何度も口にしていた。
数で言うと、シーズン中平均して50頭は獲れていたのが、今シーズンは1桁。
海の漁師ではなく、山の猟師で言うところの不猟(不漁ならぬ)はすっと腑に落ちないだろうけれど、
お金に換算してみればよくわかると思う。
猪一頭で20万円(ぼくの勝手な見立てなので正確ではない)の売上になるとして、
1シーズンで50頭なら1,000万円の売上。
それの1/5だから、今シーズンは200万円。
趣味としての狩猟ならそれでも構わないだろうが、Sさんは専業猟師だ。
猟期の猪は、青森の漁師さんで言うところの大間の本マグロ。
痛手じゃないわけがない。
「猪がおらんのなら猪狩りもできやん。それなら犬も鉄砲も持っとる意味はないさの。転職かな」
笑いながらそう話していたことは、多分、冗談ではないと思う。
猪が激減した明確な理由は断言できない。
おそらくCSF(豚コレラ)の影響は大きいだろうが、それ以外の要因もあるかもしれない。
前回の遠征では話に聞くだけで実感があまり湧かなかったのだけど、今回でやっと事の深刻さが理解できてきた。
組猟で訪れた別地区の猟師さんたちが「猪がおらんなった」と言っていたことともきっとつながっている。
Sさんは2月以降の猪狩りはほぼやらない。発情期と出産期に入るからだ。
もちろん春夏秋シーズンの有害駆除も自分ではやらない。
「猪がおらな猪狩りはできん。賢い猪には生き残ってほしいわな」
その言葉がずっと頭で響いている。
猪は獲りたいけど、生き残ってもほしい。複雑な気持ちになってきている。
3日目。他の猟師さんがかけていた箱罠に2頭の子どもの猪が入っていると連絡があって現場へ向かった。
1頭は檻の鉄格子の間に突っ込んだ首が抜けなくて窒息死していた。
生きているもう一方の猪を止め刺しして持ち帰った。
「このへんで獲れる猪は全部脂が黄色いんよ。コレラのワクチンの影響かもしらん」
たしかに黄色味がかった脂だった。長野では見たことがない。
CSFが拡大した要因として、人がウイルスを運んでいる事実からは目を背けられない。
”人災”だとも言われている。自分自身だって媒介者の一人かもしれない。
申し訳ない思いが湧いてくる。
湯剥きをして捌いた子猪。
その半身をいただいて喜び、持ち帰ったお肉は今、冷凍庫に入っている。
どうやって食べようかと考えている。
”矛盾”がいつだって自分の中にあることを忘れてはいけない。