辛くないスパイスカレー。

辛くないスパイスカレー。

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スパイスカレーの準備で市街地へ向かう。

食材の買い出しをして、お店に行って、次の日にための仕込みを済ませておく。

前の晩から降りはじめた雨は、この日の朝も降っていた。

ここ数日は高気圧の影響で気温が少し上がった。3度上がるだけで、こんなにもあたたかく感じる。
朝、体温であたたまったベッドから素足を出すのがつらくない。

市街地に出るためには、ふたつのルートがあって、一方は全長約5kmの長い長いトンネルを通過しなければならないんだけど、この時間帯はトンネル内の片側通行規制がかかっている。

待っている間、雨脚が強くなったり弱くなったりを繰り返している。

フロントガラスに当たる雨粒をよく観察していると、大きい雨粒と小さい雨粒とがある。

大きい雨粒は、ガラスに当たったときのはじけ方に見応えがあるがやや大雑把だ。

小さい雨粒は、当たった瞬間の華やかさに欠けるが、”しとっ”という擬音が聞こえてきそうなたおやかさがある。

雨粒にも個性があるんだと知る。すべての雨粒が同じではない。

そういえば、雪の結晶もひとつずつかたちが違うということを知ってそれがなぜなのか不思議でならなかった、という幼少期の記憶が、おぼろげながら、ある。

トンネルをくぐりぬけても、そこからの道中まだ何ヵ所か片側交互通行エリアがある。

毎回、交通信号に引っかかる。ふと横を見ると、交通整理の人が雨が振りしきるなか立っていた。

「ごくろうさまっす」と心の声でつぶやく。

仕込みが終わって、帰り道に彼女の実家に立ち寄った。

彼女の実家では、お父さんが畜産で肉牛を飼育しているから、大きな牛が、ふつうにいる。

このときは12頭?か13頭?いたかな。

出荷されていく牛と、新しく入ってくる子牛とがいるので(当たり前だけど)、
行くといる牛の数が変わっているときがある。

出荷される直前の牛は相当大きな体をしているから、視覚的に覚えていて、
「あ、出荷されたんだな」と分かる。

ぼくは狩猟をしているから、内臓が抜かれる場面とか、皮が剥がれる場面とか、牛が徐々に肉になっていく様を
とてもリアルに想像する。

肉牛は鹿や猪と違って体がとてつもなく大きいから、後ろ足やロースを切り分けるときはどうやってやるんだろうか、とふつうならそこまで気にしないであろうというところまで想像を働かせる。

実際はどうなのか、自分が予想している通りなのか、答え合わせをしてみたい。
いつか肉牛の解体現場を見たいと思っている。

今現在スパイスカレーのお店の情報はSNSでしか発信をしていない。

ひとつには、ぼくたちの鮮度の高い意思を伝えやすく、フォロワーさんからの生のリアクションを感じ取りやすいという利点がある。

今現在、新型コロナウイルスの影響により、日々刻刻と生活状況が変わる。

それはお店を取り巻く状況とイコールであり、お店の営業形態や、お店を切り盛りする自分たち自身の考えも臨機応変に変えていかなければならない、ということだ。

そんなとき、お店の主体であるぼくたちが昨日までと違うスタイルに切り替えることは即座に、容易にできる。

ただ、その急な変化にお客様がついてこられるかはまた別の話だ。

前はこうだったのに、次に来たときはお店がまったく違う状況になっていた、となると戸惑ってしまう(自分がお客様側だったらきっと理解は示せど戸惑いはすると思う)。

ただ、変化していることを、そしてどのようなところが変化したのかをぼくたちとお客様とで具体的に共有できていればその認識のズレは防ぐことができる。

これまで(SNSに比べれば)マスな媒体への店舗情報掲載のお声がけもあったがお断りしてきた。

より広く、多くの人に情報を届けることができる反面、旅立ってしまった情報の更新と収拾が困難だからだ。

もちろん多くの人にお店に来ていただいて、売り上げを伸ばすことができればとてもうれしい。

だけど、お店を認知してくれていて、お店に来てくださっている方たちと、同じ速度で、同じ歩幅で歩んでいくことの方がそのこと以上に大切なんだろうと思う。

今のこの状況ではことさら強くそう思う。

お客様を大事にすることは、ひいては自分たちを大事にすることにもなる。

お店のInstagramアカウントを通じて、お客様からこんなメッセージがきた。

「テイクアウトをお願いしたいのですが、5歳のこどもでも食べられるでしょうか?」

以前にも足を運んでくださった方で、きっとお子さんと一緒にスパイスカレーを食べようと思ってこのメッセージを送ってくださったのだと思う。

詳しくお話を聞いてみると、スパイス自体は食べられるが、辛さが心配とのことだった。

この日は、いつもより辛さをプラスしたスパイスカレーを仕込んでいたので、既に作り終えたものに生クリームやココナッツミルクを加えて辛さをマイルドに調節したものをお出しすれば大丈夫かなと考えた。

が、思い直してそれはやめた。

連絡をくださった方のアカウントを少し覗いてみると、メッセージにあった5歳のお子さんと思しき、くりくりっとしたかわいい目が特徴的な、快活そうな子供の写真がアップされていた(フォロワーさんの暮らしを少し垣間見れるのもSNSの素晴らしき利点であると思う)。

スパイスを口にしたことはあるようだけれど、もしかしたらこの子にとって、スパイスカレーは人生初めての経験ということも十分あり得る。

人生初のスパイスカレーが(これで大丈夫とこちらにとっての安易な調節をしたとしても)辛すぎた場合、今後スパイスカレーはこの子にとって遠ざける対象となってしまうかもしれない。

それはとてもかなしい。せっかくなら「スパイスカレーおいしかったからまた食べたい!」とお母さんに言いたくなるようなものを食べてもらいたい。

そんなことをぼーっと考えていたら、この子のためのスパイスカレーを一からつくろうと思えた。

辛みのスパイスは抜いて、スパイスカレーを特徴づけるベースのスパイス(コリアンダー、クミン、ターメリック)を多めの配合で、香りの個性を出すためにパプリカも。

「5歳のこどもでも食べられる辛くないカレー」ができあがった。

先日、ひさしぶりに東京で暮らす高校の同級生とLINEで通話をした。

このブログをひまなときに見てくれていて、「あの記事おもろかった」と時折連絡をくれる。

その彼が「この前の投稿に書いてあったことが最近読んだ本の内容と似ていた」と、ある一冊を教えてくれた。

「古くて新しい仕事」という本だ。

スパイスカレーのお店をスタートするきっかけにもなった「ゆっくり、いそげ」という本の内容にも重なる部分が多くあって、あっという間に読み終えてしまった。

よかったら読んでみてください。傍に置いておきたくなる一冊です。

本の詳しい内容に触れるのはここでは避けるとして、印象的だった一部分の要約を抜粋しておきたい。

(著者は夏葉社というひとり出版社を起業・運営している)

一般論としていえば、一斉にメールを送る相手が多ければ多いほど、文章は最大公約数的になるだろう。受け取り手たちは、それぞれ個性の違うひとりの人間なのだから、わかりにくい文章や込み入った表現は、なるべくわかりやすいものに直す必要がある。余計な私情は挟まない。とにかく、正確に、わかるスピードを重視して文章をつくる。
 一方、一対一のメールや手紙であれば、得てして私情のほうに重心がかかる。この人ならわかってくれるだろうという表現で、自分の気持ちを伝え、相手の心情を慮る。
 受け取り手が、一人か、二人かによって、文章の質は決定的に変わる。

 本というものは、果たして、一対一の手紙に似ているのか、一対複数の手紙に似ているのか、どちらだろうか、と思う。
 ふつうに考えれば、一対複数の手紙なのだろうが、ぼくは、一対一の手紙のような本をつくりたいと願う。

 具体的な読者の顔を想像し、よく知る書店員さんひとりひとりを思いながらつくる本。
 親密で、私信のような本。
 仕事もまた同じ。
 一対一の関係でしか伝えられないことがある。
 効率的に、合理的に仕事を進めようと思えば思うほど、ひとりひとりの個人の顔が見えなくなってくる。

『古くてあたらしい仕事』島田潤一郎

辛くないカレーを作り終え、5歳のその子の顔を思い浮かべ、喜んで食べてくれている姿を想像する。

「あぁこういうことなのかもしれない」とふと思う。

「ゆっくり、いそげ」の中にもあった、”不特定多数”ではなく”特定多数”。

言い換えれば、一対一を何回も、何回も。

スパイスカレーのお店をはじめて、予想を超えるほどの、多くの人が足を運んでくださっている。

今までお店にきてくださった方の顔はちゃんと覚えている。

スパイスカレーを仕込みながら、明日の営業ではどれくらいの人が来てくれるだろうかというところからいつもぼんやりと考える。不安にもなったりする。

そうすると、これまで来てくれた人たちの顔が思い浮かぶ。自然とそのひとりひとりがスパイスカレーを食べている映像が頭の中に流れる。

仕込んでいるのは25人分のスパイスカレーだが、でもそうじゃない。

1人分×25回なんだ。