三重に狩猟行脚③

三重に狩猟行脚③

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三重滞在の2日目からは、
犬を連れて山に行く、獣を捌く、飯を食べる、寝る、
そしてまた起きて山に行く…というサイクルの日々。

訪れた初日にすでに猪が3頭吊り下げられていて、2日目と3日目にも箱罠に入った鹿を搬入したので、
計5頭の獣が捌かれるのを待っていた。

Sさんの解体の手捌き(スピード、正確さ、丁寧さ)は今まで出会ったどの猟師さんよりもすごい。

どこに、どう包丁を入れれば目の前に横たわっている獣が肉になるかを感覚で完璧に把握しているのだ。

手に握る包丁も、当然だけど良く砥がれていて良く切れる。

猪は皮剥ぎから精肉が終わるまで1時間30分、鹿であれば45分ほどで終わらせていた。

これがどれくらい凄まじいスピードなのか、獣1頭の解体を一人でやったことがない人は全く実感がわかないと思う。

参考までに、ぼくがひとりで猪の解体から精肉までの工程に取りかかると、2時間半~3時間はかかる。

鹿でも1時間半はかかる。

さらに驚いたのは、1日に3頭くらいの解体をやってしまうこと。

ぼくだったら体力も気力ももたない。解体にはものすごいエネルギーと神経を使うのだ。

ひょっとすると、疲労の蓄積でいうなら”獲る”ことよりも、”捌く”ことの方が多いかもしれない。

Sさんはそれを1人で日常的にやってのけているわけだ。

「包丁をあつかうのが小さいときから日常やったからこれでとことんまでつきつめてやろうと思った」

と話していた言葉が印象的だった。

皮剥ぎ、枝肉への切り分け、骨外し、精肉。

解体のどの工程を見ていても、まるでそう切られることがあらかじめ決まっていたかのように、
”するするさっさっ”と獣が肉塊へ、肉塊が肉へと解けていく。

同じ工程の繰り返しだけど、見ていて飽きなかった。

ピタゴラスイッチとか、何かの製造工場のシステマチックでオートマックな機械的なループ映像。

ああいうのってずっと見ていられる。

その感覚に近い気がする。視覚的に気持ちいいんだ。

だからSさんに精肉されたお肉は整っていて、とても美しかった。

多分見ていて気持ちよくない解体で捌かれたお肉は整っていなくて美しくないはずだ。

ちなみにぼくが捌いたお肉は美しくない。

自分が解体している映像を見て気づいたけど、リズムがない。だからぎこちないのだ。

猪や鹿、家畜の牛や豚や鶏もそうだけど、
骨格、肉のつき方、筋の入り方、内臓の構造、そういうのはDNAで決まっている。
年齢に付随する体躯の大きさや性別による違いはあれど、
解体するにときの包丁の動かし方は共通している。

刃を入れる適切なポイントというのがある。

足を外そうと思ったら、関節の接合部に刃を入れればいい。
力は要らない。骨は継ぎ目なく一体になっているのではなく、骨と骨を腱がつないでいるだけだ。

それを把握できていれば、適切にその一点に刃を入れられれば足はいとも簡単に外れる。

さっき解体にはものすごいエネルギーと神経を使う、と言ったけど、
それは捌く対象の体の構造を感覚で掴めていないからだと思う。

その点、Sさんは低燃費な解体なんだ。

最少のエネルギーで、最大の効果を得る捌き方。

ぼくも解体していて楽な工程(部位)と、大変な工程(部位)がある。

つまり、構造を掴めているところと、掴めていないところ。

掴めていないところの構造を感覚で覚えらえれば、理解度の幅が広がってエコな解体ができるようになるはずだ。

ちなみに低燃費やエコという表現を使ったのにはちゃんと理由があって、Sさんの解体後の残滓の総量はぼくのに比べて圧倒的に少ない。

余すところなく、可食部位を捌き切っているからだ。残った皮や骨には肉がほとんどついていない。

業界的に言うならば、”歩留まりがよい”ということだ。

解体所の床には真新しい血痕と古く黒いシミが無数についていた。

ここで何頭の獣を捌いたのだろう。

捌いた獣から滴り落ちる血がシミになり、その蓄積が独特な模様を描いていた。

捌き終わった猪のあばら骨を、作業小屋の薪ストーブの上で焼いて食べさせてもらった。

カリカリになったあばら骨には、肉はほとんどついていなくて(なんせ歩留まりのよい捌き方だから)、
食べるというよりも、こびりついた最後のかすをかじりついて削ぎ取るという方が正しい。

味付けは塩コショウだけ。片手にはインスタントのコーヒー。

なんとも変な組み合わせだが、それでもめちゃくちゃおいしかった。

時間は夕方の4時。3時のおやつではないし、夕食にはまだ早すぎる時間だ。

どこにも分類されない間食。肉の味と、骨の味を噛みしめながらひたすらに食べた。

Sさんの夢というか、野望というか、これからやろうとしていることの話をしてくれた。

その内容は、多分秘密にしていおいた方がいいと察したのでここでは書かないけど、

それを知ることができてよかったなと心底おもった。

これまでに成し遂げたこととか、達成したことの話って百歩譲って相手が好きな人だったらまだ聞けるけど、
どうでもいい人のこの手の話はくそつまらない。

たいていただの自慢話か武勇伝だから。

でも”これからのこと”についてはちょっと違うと思っている。

未来のことはだれにも分からない。どれだけの経験と知識を持っていても、断定ができない。

まだ起こっていないことに対して、「どう?すごいでしょ?」と言われたとしても、
説得力の”せ”の字もないし、過去の栄光の話以上につまらない。

その土俵の上では自分も相手も同じチャレンジャーなんだ。

過去の話であれば一方的なマウンティングが起こり得るけど、
未来の話はいつでもインタラクティブだから話していて楽しい。
自分のことでも相手のことでも、わくわくしてくる。

同じポジションで話せるし、聞けるし、同じ目線で未来を見れる。

そもそもこれからのことってどうでもいい人には話さないし、話したくないじゃないですか。

するとしても、核心には絶対触れない。

だから、ぼくにSさんがその話をしてくれて、ぼくが「いいっすね、たのしみっすね」と言えた時間がずっと頭に残っている。