単独単犬で初めての獲物。

単独単犬で初めての獲物。

2021年1月19日
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朝9時。いつもより遅めの起床。

カフェオレを飲んで、彼女がつくったブラウニーを食べる。

これだけ聞くと優雅な朝のワンシーンであるが、これから山へ行く猟師の朝支度ではないなと思う。

10時ごろに出発して、前から行ってみようと考えていた山へ軽トラを走らせる。

出発して20分後、気がついた。地下足袋を忘れてしまった。

アクセルを踏む足元を見ると、サンダルをはいている。

地下足袋を取りに戻りながら思う。間違いなく猟師の朝支度ではない。
(この一文を書きながら、サンダルで運転するのが交通違反になるのかどうか心配になったのでググっている。
よもやこの記事のこの一文を読んで「あいつは交通違反しています」と言ってくるようなひまな人はいないだろうけど。どうやらサンダル着用の明確な違反規則はないようでグレーゾーンだそう。でも賞賛されることではないのでやめましょう。ぼくもやめます。)

結局、目的の山までは少し距離があるので諦めて、近場の山に変更することにした。

到着し、軽トラを降りると見上げた山の斜面を2頭の鹿が落ち着いた足取りで駆け上がっていくのが見えた。

静かに鉄砲の手を伸ばし、そちらの様子を窺いつつすぐに撃てる態勢をつくる。

折り重なった木々の向こうに隠れてしまって姿は見えない。遠ざかっていき、音もしなくなった。

諦めて山に入る準備に戻る。

地下足袋を履き、ヤッケをかぶり、鉄砲を持ち、弾を8発ポケットに入れる。

スラッグ弾のレミントン2発とブリネッキ1発、それと箱入りのブリネッキ5発。

連れてきたカイをケージから出して鈴をつける。
「早くおろしてくれ」という態度と、ちょびると怒られるという自覚が忙しく出入りしている。今日も元気がよい。

さきほど見た2頭の鹿には反応を示していないようだ。だいぶ気配も遠くなったのだろう。

山に踏み入る。

時間は11時過ぎ。日は高くなり、山全体が陽気であたたかい。

南西から吹いてくる風を感じ、これから向かう先の猪の寝屋が風上、自分がいる場所が風下であることを頭の中の地図で確認する。「風上には立たない」ということを三重で学んだ。

傍を歩くカイの鈴がチリンチリンと軽快な音を立てている。

萱の茂った平地。風にニオイが乗ってくればカイが反応するはずだが、それらしいリアクションはない。

萱の中にも静かに踏み込み、辺りを探索するが、アタリはなし。

猪らしき痕跡が感じられない。鹿が寝ていたであろう場所は見受けられる。


ここは日当たりがよく、萱で風も避けられるから寝るには最高な場所だ。自分が獣だったらここに寝たい。

次の寝屋(確実ではないが怪しいと思っている)へと向かう。

谷間になっていて、竹も茂り、風を避けられそうな場所だ。

カイの足が伸びる。姿が見えなくなって、鈴の音だけが下手の方で響いている。が、すぐに戻ってきた。
何か気になるニオイがあるようで、木の根元や幹を嗅いでいる。

はっきりしない反応だったので、ここも気配なしと判断し、次に向かう。

その途中でカイの動きが変わった。迷いなく、まっすぐ斜面を駆け上っていき、姿が見えなくなった。

鈴の音も聞こえないほど距離が離れる。鳴いた感じはしないが、わからない。
稜線の向こう側に行ってしまったのでこちら側に音が届いてこないのだろう。
向こう側の様子がどうなっているのか気になるが、待つことにする。

なんとなく、鹿のニオイと気配を追った感じがするからだ。

呼び戻しを試みる。10分ほど待って、ようやく鈴の音が近づいてきて、姿が見えた。
「戻ってきたよー」と言っているような感じで駆け下りてくる。

ちゃんと戻ってきたことをしっかり褒める。

なにを追っていたのか、わからないものはわからない。気にしていてもしょうがないので、あきらめる。

このまま稜線まで戻り、車がある方向を目指すことにした。

朝からポンコツ全開放な流れだったので、今日は引き上げ。

最初に踏み入った萱の生い茂る平地まで戻ってきて、そのまま作業道に入り、進む。

車がもうすぐで見える手前というところで、またカイの動きが変わった。

作業道からそれて、左側の斜面を勢いよく登っていく。

素早い動きだった。

その直後、けたたましく吠えた。

かなり近い。鳴き声は断続的で、少しずつ遠ざかっていく。

止まる様子がなく、目の前の小高い山の中で獲物を追っている。

ここにいては何も見えず、撃てる場所ではないので、見渡せるところまで急いで回り込む。さっきの萱が生い茂る平地が適地で、あそこに出てくる気がした。

しかし鳴き声は降りてはこない。

かすかに聞こえていた鳴き声と鈴の音がしなくなった。

「どこにいった?回り込む側を間違えたか?」そう思い、カイが駆け上がっていった場所へまた戻る。

耳を澄ます。風の音と、烏の鳴き声。と、かすかに鈴の音が聞こえた。

やはりまた反対側に遠ざかっていく。また走り回り込む。鳴き声が近づき、横方向へと遠ざかっていく。多分こっちで方向は間違っていない。

走ると風切り音で聞きたい音が遮られストレスだ。立ち止まらないと音を拾えない。でも急ぎたい。

遠くに、鳴き声と、鈴の音と、そして獣の声。鹿か猪かわからない。
「山に入るときに見た2頭の鹿がいた場所とカイが駆け上がっていった方向は一致するから鹿?」
そんなことを考え、音が流れてくる方向を目指す。

「キャン」というカイの悲鳴らしきものが聞こえた。猪だったら牙にやられたかもしれないという不安がよぎる。

その直後、鹿の大きなうめき声が聞こえた。

鹿だ。きっとカイが噛みついて止めている。

はやる気持ちを抑えて、スピードをゆるめ、獣を刺激する音を出さないように歩み寄る。

音は下の方から聞こえてくる。もう少しで今歩いている場所の縁だ。

歩を進めるたび、そこで生まれている音がこちらに臨場感を持って近づいてくるようだ。

獣が暴れる音、落ち葉が擦れす音、カイの吠える声、それらの音に馴染まない鈴の金属音。

縁まで来て、下をのぞき込む。

見えた。

カイが鹿の喉元に噛みついて、鹿を止めている。

一呼吸おいて、ゆっくり近づく。

足元にカイと鹿。

鹿の首を足でおさえ、銃の安全子を外す。

頭部に銃口を定めて引き金を引いた。

初めて間近で聞く発砲音にカイが驚いて噛みついていた喉元から牙を離す。

頭を弾が貫通していたが、鹿の鼓動はまだ続いている。

剣鉈を取り出して胸の正中線から心臓に向かって刃を入れる。

鎖骨の間を通り抜けて、首元の空洞に刃先が入る感覚が柄を握る手に伝わった。

刃を抜くと、そこから血が溢れ出る。それに合わせて鹿の鼓動と呼吸もようやく止まる。

カイは傍でその様子をじっと見つめている。何を感じているのだろう?

鹿のお尻がえぐれて、肉が見えている。カイが噛みちぎったのだ。

カイの口元には鹿の血のりで固まった白い毛の束がついている。

歩み寄って、両手で顔を抱えて褒める。「よく追いついたね。よく止めたね。」と声をかける。

尻尾を振るカイ。顔にべっとりと鹿の返り血を浴びている。

初めて自分よりもからだの大きな獣と対峙したとき、その目にはなにを見て、なにを思ったのか。

真っ赤に染まった顔と、荒々しい呼吸音から、夢中で走って、力の限り噛みついたのだとわかる。

きっと本能を剥き出しにして向かったはずだ。

自分が止めた鹿から目を離さない。
鉄砲の音と、鹿から生気が消えていくのを感じ取って、静かに今目の前で起きていることを受け止めている、そんな感じがする。

獲物を自分の物だと強く主張し、主人に牙をむく猟犬もいる。

カイがそうでなかったことに、少し安心する。

落ち着いてよく見ると、鹿の前脚が一本ないことに気がついた。

くくり罠に一度掛かったことがあるのだろう。そのときにちぎれてしまって、それからは三本足で生き延びていたことになる。

千切れた部分の傷も塞がっているから、くくり罠から抜け出してからしばらく経過している。

カイが追いつけた理由もわかった。

3本足だと、下りではどうしても遅くなる。

せっかく、くくり罠から逃げおおせて生き延びたのに、またもや猟師と猟犬に追われてしまったこの鹿の不運に同情する。

ごめんよ。いただきます。

ここから考えなければいけないことがある。

どうやって鹿を運ぶか、はたまた現地解体するか。時間は13時半。
どちらにしても日暮れまでは時間に余裕があるので問題はない。

今自分が持っている道具と、軽トラに積んである道具を整理する。

鹿を目の前に色々思案している間も、カイは鹿をずっと見つめている。
その横顔はどこかたくましくなった印象を受ける。
「獲ったことがあります」顔になっただろうか?

刃物は剣鉈しか携帯していない。リュックの中を確認すると、ビニール袋を持ってきていなかった。

現地解体しても、切り出した肉を持っていける状態でないことがわかったので丸ごと搬出することに決めた。

車までは身軽な状態で歩いて10分。

引き出し用のワイヤーをベストに入れていたので、鹿の首元に巻き引いてみる。

引かれる鹿のあとにカイが続いて、またお尻を噛んでいるので叱る。

叱ると離すのだけど、また噛む。また叱る。これを3回繰り返したあとに、引いて運ぶことは諦める。

時間がかかりすぎる。

カイと余計な荷物を軽トラに置いて戻ってから、鹿を運ぶことにした。

リードを繋いでカイを引いていく。ちらちら後ろに置いてきた鹿を振り返る。気になるようだ。

大丈夫。ちゃんとあとで運ぶから。

身軽になって戻り、鹿の四肢をパラロープで結んでショルダーバッグみたいに担げる形にする。
ショルダーバッグほど携帯しやすくはないけど。

持ち上げてみる。40㎏…50㎏はないぐらいだろうか。

パラロープが細いので肩に食い込んで痛い。

ロープをかける肩を左右交互に変えて歩きながら、車に向かう。

頭を撃ちぬいたときに砕けた顎が歩くたびにカコカコ鳴っている。

10分の道を3倍の30分かけて軽トラを停めたところまで辿り着いた。

カイがケージの中でクンクン鼻を鳴らしている。

鹿をおろすと、身体が一気に軽くなった。

ここから家に戻って、吊るして内臓を抜いて、1日か2日くらい吊り下げたまま置こう。

レバーは火を通して、カイとリクに食べさせよう。

猪ではなかったが、単独単犬で初めての獲物だ。

1時間半という短い時間の中に、感覚と思考を働かせる経験が濃縮されていた。

命を奪った鹿に手を合わせた意味は、きっとそこにある。