広く、深く

広く、深く

狩りのこと。

「隔たりとなりえるもの②」からのつづき】

Kさんの狩猟スタイルは独学で身につけられたのかと尋ねると、そういうわけではない、教えてくれた人がいると、言われていた。

とは言え、話を聞いている限り、自分で観察し、研究し、その経験からくるデータをもとに今の知識やスタイルをつくってきた側面が強いという印象を受けた。

世の中に流布しているだけの根拠のない知識や、

人によって異なる猟犬のしつけ方、

猟師の界隈で慣習的にそうしているからというものに頼ることなく。

「犬の種類によって特徴も違えば、犬それぞれによって性格も違う」

「うちの犬は、他の猟師から言わせると駄犬(猟に向かない犬のこと)だよ。臆病だし、神経質だし、自分から積極的に獲物を追うタイプじゃない。だけどぼくのスタイルはこの犬じゃないとできないからね」

通念的な価値観に囚われず、自分の経験によって裏打ちされているものを根拠に、
独自のスタイルを築き上げていくKさんの言葉はやはり強い。

“嘘がない”というのか、ぶれない芯が通っている感じだ。

Kさんは住んでいる場所を離れ、県外を狩猟のフィールドとしている。

理由はシンプルで、“そのフィールドの方が猪がいるから”だそうだ。

「1人でやろうと思うと、やたらに大きい山では獲れない。尾根を登って、戻ってきて、それで獲物と出会えなければ一日が終わってしまう。どこでなら自分の思うやり方で狩猟をやれるのかを考えなきゃいけない」

単独単犬の猟では、1から10まですべて1人(と1匹)でやらなければならない。

その身一つで犬とともに山に入り、獲物を追い、当然のことながら1人(ここは犬の力を借りるわけにはいかない)で搬出もする。

獲って終わりではない。獲ったあとが本当の闘いでもある。

なにせ、60㎏は下らない(ときには100㎏近くの)巨躯の猪を1人で引っ張り下ろす(ときには引っ張り上げる)作業が待っている。

そうなると、地形の険しい場所では獲っても途方に暮れてしまう。

ある程度、地形のなだらかなフィールドを選ぶということも視野に入れなければならない。

狩猟と聞くと、住んでいる土地をフィールドに据えるみたいなイメージがある。

未だにぼくもそのイメージだ。

土地勘はもちろんのこと、鉄砲を使う猟ならばなおさらのこと、そこに暮らす人たちの理解も得る必要がある。

鉄砲を使う猟ならばなおさらのことだ。

馴染みのない場所をフィールドに選ぶ、ということは何につけてもコストがかかる。

県外登録であるなら、狩猟税も+αになってしまうし。

それでも、自分の理想の狩猟の形を求めて、フィールドを新規開拓していくというのは、

よほどの熱量がない限り、できないことだろう。

ましてや、既にその土地で猟をやっている班やチームに入るというわけでもなく、

単独猟でとなると、ゼロベースから始めなければならない。実際に猟をするまでの準備(山や地形のリサーチ、人間関係の構築など)にもそれなりの時間と労力をかけていることだろうと思われる。

話を聞いてみると、やはり夏の終わりか秋頃から、猟期に入る予定のフィールドに何度も下見に行くそうだ。

そういう意味では、Kさんの狩猟へのアプローチや考え方は新しいのかもしれない。

「道楽だから」

話の端々でKさんはその言葉を使っていた。

“狩猟は趣味だから、楽しみたくてやっている”

話始めでは、額面通りにそう受け取っていたこの言葉。

しかしながら、対話が進むにつれ、どうやらその言葉の裏には別の含蓄があることに気がついた。

“道楽だからこそ、型にはまる必要はない”

これが、例えば義務的にこなさなければならないことなら、話は別かもしれない。

分かりやすいところで言うと仕事とか。

決まった枠組みの中で、決められたやり方で進めていくことが全体の統一と円滑な流れにつながるからだ。

だが、Kさんも、そしてぼく自身もそうだが、狩猟を頼まれ仕事でやっているわけではない。

自分の意志で、やりたいからやっている。

面白味をどこに見出すかは人それぞれだが、それは”楽しみでやっている”とも言い換えられる。

とするならば、そこに「こうやらなければならない」は本来ないはずだ。

もちろん法律的な制約やマナーはあるものの、狩猟のスタイルや、なにに価値を求めるか、ということについてはもっと広がりがあっていいし、選択肢があってもいい。

Kさん自身、狩猟を始めた当初、周りに単独で猟をやる人はおらず、

「そんなやり方は聞いたことがない。獲れるわけがない」

と揶揄された経験があると話していた。

ただし、それはやったことがない人の、憶測の中だけのお話だ。

「道楽だから。囚われずにやってみる」

そして、おそらくこの示唆が通ずることは、狩猟に限った話ではない。