【導入】前回の続き
突然現れた水田跡でしばらく時間を過ごす。
“水田”という、現代でも聞きなじみのある言葉がイメージさせる情景が、
この古道が当時の人々の“暮らしの道”であったことを納得させる。
“穀物”という生活の糧を得ることに直結する営みであっただけに、
“古道なくしては人々の生活は成り立たなかった”という事実をぎゅっと握りしめるような感覚で悟った。
【古道を歩くは人のみか】
水田跡からしばらく登ると稜線沿いに出る。
右側は雑木林、左側はアカマツ林、とはっきり分かれている。
どうやらこのあたりから「止め山」の区域に入っていくことになるようで、こんな看板が木に吊るしてあった。
止め山というのはこの山の所有者や入山権を持つ人たちがいて、それ以外の人が立ち入ってきのこなどの採取をすると罰則が課せられてしまう。
これだけアカマツが生えているから、どんなキノコが採れるのかはお察しの通りだ。
現在は使われていないようであったが、監視用のテントまで設けられていた。
おそらく今現在も止め山であることには変わりないはずなので、
実りの時期には無闇に立ち入らぬように気を付けたい。
稜線沿いの道のど真ん中にうず高く堆積した“何か”がある。
近寄ってよく見ると、それはタヌキの“ため糞”だった。
タヌキは決めた場所で糞をする習性があって、特に気温の低い冬場はため糞は消失することなく堆積したままの状態で残っているのをよく見かける。
排泄物の中には未消化のままのものが残っており、この山に暮らすタヌキの食性を把握することができる。
堅果の殻や正体不明の種子、カメムシの甲殻も混ざっていた。
さらに足元によく目を凝らすと、至る所にこんなものが転がっている。
平澤さんは「エビフリャー(名古屋弁)」と呼んでいたが、
もちろん“エビフライ”、ではない。
「なんだろうか?」と頭を捻る。
見た目は限りなくそれに近いが(衣のサクサク感が伝わってくる、ベストな揚げ具合ではある)、正解はこちら。
松ぼっくり。
リスやネズミなどの小動物が松ぼっくりの殻を一枚一枚丁寧に剥がし、中にある種子を食べた食痕だった。
まさか彼らも自分たちの食べかすがこんな話題を呼んでいるなんて思いもしないだろう。
こちらのクルミの殻もリスの食痕。堅牢な殻と殻をつなぐ縫合線だけを齧りとり、綺麗に真っ二つに割ったのちに栄養価たっぷりの種子だけをいただいている。
こちらも食べかすながらその見事な食べっぷりに驚く。
人でさえ、こんな器用な割り方はしていないだろう。
こちらは同じクルミであるが、リスではなくアカネズミの食痕だそう。
リスのそれとは対照的に、殻を強引に齧り取っている。効率を考えると非常によろしくない。
自慢の前歯もこの食べ方を続けていてはすぐに摩耗してしまうに違いない。
果たして“縫合線だけを齧り取る”という閃きの瞬間はアカネズミに訪れるのだろうか。
もし山中に落ちているクルミの食痕から強引な齧り痕が見られなくなったのなら、
それはアカネズミたちの世界でシンギュラリティーが起きた、というサインだ。
革命の波はいつでも、水面に投じられた一石から起こる。賢者に成り得る一匹が現れるのが楽しみだ。
峠の少し手前で“馬頭観音”の石仏が祀られていた。
頭の上の冠のようなものが馬の頭部を表している。
馬頭観音は本来、明王様のような憤怒の形相をした顔が2~3面あるそうだが、これは女性的で柔和な表情が彫られていた。
馬を伴って歩かれた古道であったから、山自体の険しさのわりに登りの傾斜は比較的緩く、なだらかなルート開拓がされていた。なんだかそんな古道の性質とこの馬頭観音様の表情が馴染み合っているように感じられる。
古道を行き交った人々や馬を優しく出迎え、見守ってきたのだろう。
手を合わせ、先へ進む。
道に横たわった倒木に泥がこべりついていた。
しかも倒木の上側だけに、こすりつけられるようにべっとりと。
これは獣がヌタ浴びをして、身体に泥を纏った状態でこの倒木の上を通ったというフィールドサインだ。
倒木の高さからして、イノシシで間違いないだろう。鹿であればこの低さの倒木に腹側がこすれることはない。
前日は雨だったが、雨粒に流されることなく泥跡が残っていることを考えると、
雨が止んでからここを通ったと思うのだが…
周囲に明瞭な足跡は見当たらない。
横幅はかなり広いが、大きな一頭なのか、それとも複数頭なのか。
倒木のすぐ近くにこの泥跡。今度は縦に伸びた気にこすりつけられているから、これでイノシシの体高を推測することができる。
泥跡の下端は地表から50~60㎝ほどの高さだ。かなり大きい。
だとすると、さきほどの倒木に付いていた跡の横幅は複数頭ではなく、ある一頭が付けた可能性が出てきた。
古道の両側に生える広葉樹。二本の木の内側に泥跡が付着している。
この左右の木の間を通りぬける際に、体がこすれるように触れたのだろう。
この痕跡から、やはり相当大きな体躯を有した一頭のイノシシである、という確信に近づく。
イノシシは群れで移動をするとき、ほとんどの場合、一列になって進行するからだ。
峠の手前付近で現れたヌタ場。
「重機で掘削したのか?」と思ってしまうほど、ごっそりと斜面の一部がえぐられている。
これだけの大きさと深さのヌタをつくりあげるとなると、やはりこの山の“ヌシ”のようなイノシシなのかもしれない。
これらの痕跡からもっと多くの情報を読み取り、より確かな推測を立てられる気がするが、
今の自分にはそこまでの技量がないことにもどかしさを感じる。
古道を歩きながら、痕跡を辿り、ここまできて、気が付く。
「そうか。イノシシもこの道、使ってるんだ。」
イノシシの通った形跡は古道から逸れることなく、沿うように続いていた。
思い返せば、リスも、ネズミも、タヌキも。
道中で見つけた多くの獣道はこの古道に繋がるように伸びてきていた。
人の往来は途絶えたが、今は野生動物たちの往来の道になっている。
いや、元々は獣道があったのかもしれない。
山腹を縫うように蛇行し、稜線に出て、尾根沿いに伸びる道。
獣道も大抵はそんなルートを辿っている。
そんな想像をすると、この道は人だけでなく、この山に暮らす生きものたちによっても、
踏み均され、踏み固められてきたのだなと、妙に嬉しい気持ちになる。
人にとっては歴史の中の“古き道”であるけど、山や野生動物にとっては現在進行形で“息づく道”だ。
今なお道としての機能と性質を失ってはいない。
(「古道を歩く【谷京(焼尾)峠】③」へ続く)