ここ数日での冬への変貌ぶりは加速度的だった。
ほんの10日ほど前まではまだ秋の陽気が続いていた。
日が暮れたあとの冷え込みが強くなったな、と感じたらあっという間に変わった。
朝は一面に霜が降りている。
職場でふと目にしたテレビのニュースでは、北海道で雪がしんしんと降り積もる映像が流れていた。
どうやら今週末はここも雪が降らしいようなことを言っている。
季節に置いてけぼりにされた感じだ。
夜の冷え込みや、朝の凍てつき、白い霜、吐息、
それらを感じ、しばし遅れて「あぁ冬なんだな」と実感がわく。
ここ数日、「伝える」ということ、「伝わる」ということについて考える機会をもらった。
ぼくが狩猟をはじめ、このブログを開設し、カメラを購入して下手くそな写真を撮りはじめ、
最近は映像をつくるようになった。
どれもこれも、自分以外の誰かに伝えたいことがあって、それを伝えようとしているから。
その方法は、媒体は、並べるべき言葉は、いまだに掴めない。
とあるバンドのライブの生配信を自宅で観た。
コロナ禍の影響で、会場で生のライブパフォーマンスを観ることは叶わなくなってしまったので、
オンラインでの生配信となった。
夕飯の支度をしながら、観覧サイトへのログインスタートを待つ。
ちょうどライブ会場の開場を待ちわびるときのようなものだろうか。
チケットは、通知されたログインパスワード。
夕飯を食べ、ビールを飲みながら、待つ。
送られてきたバンドTシャツも着た。
間違いなくお金を払ってチケットを買ったライブが、これから始まる、というのに、状況がちぐはぐすぎてなんとも不思議な心地だった。
ライブDVDを見るような、そんな感覚なんだろうかと考えてるうちにライブがスタートした。
全8曲のセットリスト。あっという間に終わった。
ライブ会場で味わえる高揚感、一体感、はなかった。それらはやはりそこにいてこそのものなのだなと再認識。
それでも伝わった。彼らのメッセージ。想い。熱量。葛藤。くやしさ。もどかしさ。虚しさ。
そして会場無観客、採算度外視のこの生配信ライブをやった意味。
必ず会場で彼らのライブを観ると誓った。そう思っている時点でもう、伝わっている証だ。
もうひとつ。
人生で初めて、写真集というものを買った。
ある写真家さんの写真集だ。
これまで一枚の写真を目にして、感動する、心を揺さぶられるという経験がなかった。
その写真家さんの撮った一枚を目にして、釘付けになってしまった。
座っていたけど、内心では立ち尽くしていた。一瞬時間が止まったような、その止まった間に走馬灯のようにさまざまなものが脳内を巡った。記憶なのか、想像なのか、なにが巡ったのか、その判別もつかない。
同時に、写真でここまで伝え切ることができるのかと、衝撃だった。
ライブからも、写真からも、「伝える」ということ、「伝わる」ということについて向き合うきっかけをいただいた。
Youtube、instagramに映像や写真もあげています。