日々狩り旅【三重編(再)】②

日々狩り旅【三重編(再)】②
2020年1月8日
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今回三重への再訪を決めた理由は大きく分けて理由はふたつ。

一つ目は、

・三重の猟師Sさんにお会いすること

二つ目は、

・Sさんの経験則を聞き、単独単犬猟のヒントを少しでも得ること

だった。

焚き火大会では参加された方も大勢いらっしゃったし、Sさん自身も常にもてなす側で動いていたので、じっくりお話するタイミングはなかなか訪れなかった。

Sさんもそれは感じ取っていてくださったのか…どうかは分からないが、

「明日は仕事か?家に泊まってきな。」

と途中で声をかけてくださった。

お言葉に甘えさせていただくことにした。

「そういうことはある」

焚き火大会が終わり、Sさんのご自宅に向かう。

到着すると、昨日他の猟師さんから引き受けた、という猪が解体施設の中で吊り下がっていた。

Sさんは専業猟師であるので、自分で獲った獣や、他の猟師さんが獲った獣を引き受けて、それらを捌き、お肉として卸している。それで生計を立てている。

5~60㎏くらいの猪だろうか。脂も乗ってきていて、とても美味しそうな猪だった。

到着してすぐ、別のある変化に気が付いた。

10月に訪れたときに、この解体施設横につながれていた彪毛の紀州犬がそこにはいなかった。

来る前に連絡をとった際、

「頼りにしていた犬が戦死したので、今期の銃猟は幕。」

と言われていたことを思い出す。

確か「みぃ」と呼んでいた。

5割くらいは猟犬として完成してきた、と話されていたことを覚えている。

聞いてみると、戦死した、と話していたのはみぃのことだった。

「まぁそういうことはあるよ、ここだと。猪猟はそういうことはある。」

その口調はとても淡々としていた。

しかし突き放すような、無機質な冷淡さは感じなかった。

その理由はあとになって理解できた。

風を読む、ということ

単独単犬での猪猟における、成功に近づくヒントとして、
「風を読む」という話をしていただいた。

それだけを聞いたときは「?」だったが、
話を聞いてみると、その意味の重要さと深さに驚いた。

猟犬は山に入ると、地面に残った残臭か、空気の流れに乗ってきた獣のにおいを嗅ぎ取る。

和洋によって差異があり、
洋犬は地面の残臭を、和犬は空気中のにおいを察知する傾向にある。

これは洋犬を使った巻き狩りや、和犬との単独猟での猟犬の仕草を思い返してみると頷ける。

洋犬は鼻を地面に押し当てるようにして、基本的に鼻先を下に向けて獲物を追う。
遠くにいる獣に辿り着けるのも、地面の微量な残臭をキャッチする能力にたけているからだと思う。
だから捜索レンジはかなり広い。

対して日本犬は、鼻先を空気中に向けている印象がある。
耳をしきりに周囲に向けたり、鼻先を上に向けてにおいをキャッチする挙動が多く見られる。
加えて音や動きにも敏感なイメージがあり、近くにいる獣の存在をキャッチする。
捜索レンジは狭い。

単独単犬においては、いかに猟犬と近い距離で獣に近づけるかが重要なポイントになる。

それは今現在身に染みて痛感していることだ。

猟犬が獣を見つけても、主から遠く離れて追ったところで獲ることはできない。
最終的なとどめを刺すのは鉄砲だからだ。

主が犬を目視できている距離内で猪を発見する必要がある。

そのためには、猟犬が主の傍にいる状態ですぐ近くにいる獣のにおいをキャッチするように歩いてやればいい、ということだった。

それがつまりは風を読む、ということだ。

具体的に言うとどういうことか。

以下は、猪の寝屋の場所がある程度特定できた以降のアタックの話である。

風が吹いてくる方向をまずは把握すること。山上から吹き降ろしてくるのか、山下から吹き上げてくるのか。東西南北どの方向から吹いてくるのか。

獣のにおいもその風にのってくる。

猟犬はそのにおいを嗅ぎ取っている。

吹いている風が正面から当たる位置にいると、猟犬は自分に向かって吹いてくる風に紛れたにおいを辿ってどんどん離れていってしまう。

だから、吹いている風に対して直角になるように山を歩く。

「風に沿うように」とSさんは言っていた。

猪の寝屋があるポイントまで、常に風と直角になるように山を歩く。

風の流れが目の前を横に通り抜けていくようなイメージらしい。

寝屋のポイント付近までそのような詰め方をすることで、寝屋を通り抜けてにおいをのせた風の流れに当たったその瞬間に猟犬はにおいをキャッチして追い始める。

その場合では、主との距離が近いポジションで猪を見つける可能性が高い。

山の地形や状況に気を及ばすことはあっても、風のことまで考慮したことは今まで一度もなかった。

理論的には理解できたが、これを実践でやることはまた別の話。

そこに関してもSさんは言及していた。

「まぁ聞いただけやと分からんやろうから、実際に山に行って自分の感覚でやってみ。何回も繰り返しているうちに掴めるようになる。」

とにかくやってみるしかない。経験を積み重ね、感覚を磨くしかない。

主の感情を猟犬に伝える

「GPSは使ってるか?犬が離れて戻り始めたら、画面見るのやめたほうがええ。戻り始めたなと思ったら自分とこに来るまでGPS見ずに待つ。」

これも「?」だ。

GPS見ないと、犬がどこにいるか分からなくなってしまう。

Sさんの言っている意味はそのもう一歩先にあった。

「GPSの画面見てると犬があとどれくらいの距離に来てるかすぐ分かるやろ?それで主人は安心する。けど犬にほんまに伝えないかんのは、お前がどこ行ってたか心配したぞ、待ってたんやぞ、という主人の感情。戻ってきたことを褒めてやるのはもちろんやけど、その感情をぶつけんといかん。犬は頭いいからそういうのは分かる。GPS見て安心してたらその感情はもうなくなるやろ? そうやって犬との信頼関係をつくっていけば、距離は自然と縮まってくるわ。 」

言われてみれば、「なるほど」と納得できるが、
それが見えなくなってしまっていた。

獣を獲るための道具として猟犬を捉えれば、そんな見方に思い及ぶことはないかもしれない。

棒で頭を叩かれた気分だった。 生き物である猟犬と感情を通わせる、という一番土台にあることを見失っていた。

GPSは確かに便利な道具だ。

自分の位置、自分と犬との位置が一目で分かる。

しかしその一方で、人と犬という生き物同士であることのつながり、言い換えれば「感情」という最も強固な絆を捨てることになりかねない。

まだまだだ。まだまだ学ぶことばかりだ。