どんな狩猟をしたいのか

どんな狩猟をしたいのか
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先日、

「どうして狩猟をやるのか」

という問いに対して浮かぶ思考を観察・整理するというメソッドをやってみた、という内容の記事を書きました。(→「狩猟をやる理由」

思考観察①

そのときに出し切った思考マップを一旦寝かせ、頭をリセットしたのちに、再度客観的に観察し、思考に幅と深さを持たせる作業を行いました。

上の写真は一回目終了時点(思考観察①)。

二回目の補強作業終了後はこちら(思考観察①’)。

思考観察①’

重複している思考の添削、グルーピングが曖昧だった箇所の修正、
さらに欠けていた視点の追加や既出のグループの深堀り作業を行いました。

テーマは“狩猟をやる理由”でしたが、このテーマで思考観察していくと、

「自分がやりたい狩猟像」

が輪郭を帯びて浮かび上がってきました。

前日に雪が降りしきる山中でぼんやりと考えていたあの時間も影響している気がします。(→「とある一日」

自分がやりたい狩猟

結論から先に言うと、

これから自分が突き詰めていきたい狩猟スタイル、
それは「単独猟」です。

今まで漠然と頭の中にはありましたが、
“狩猟をやる理由”というテーマで思考を探っていくと、
徐々に近づいていくような形でこの結論に辿り着きました。

単独猟と言っても様々なやり方がありますが、
「単独忍び猟」「単独単犬猟」「罠猟」という三つが基本スタイルになるかなと思います。

ではどうして「単独猟」なのか。

その理由についてつらつらと書いていきます。

理由①「結果よりも過程を重視したい」

「猟果の有無」「獲物の数」という結果よりも、「どんなドラマがあったか」「どうアプローチしたか」「その中でどんな気づきや学びがあったか」「どんな思考や感情が生まれたか」という過程に魅力を感じています。

もちろん猟果を得ることも目標の一つなのでそこに対しての喜びはあります。
ただし、それが最大目標ではない、ということです。

山の中に身を投じ自らの感覚や経験を活かしながら、自然や命と、じっくり、ひたむきに向き合うあの時間がたまらなく好きなのです。

周囲の状況に五感を向けながらも、自らの思考や感情にも敏感でいる状態。

それは「外界との対話」と「自分との対話」が同時進行している、という不思議な感覚です。

この感覚を自分の中に持ちながら臨める狩猟スタイル、となると、
それは「単独猟」なのかなと。

巻き狩りなどのグループ猟においては、

「効率的かつ合理的であること」

「組織・チームとしての目標の達成感(チークワークで獲物を得る)」

「なるべく多くの猟果を得ること」

が求められている印象があります。

どちらかと言うと、巻き狩りというグループ猟というのはリザルト(結果)を求めて洗練されてきた狩猟スタイルだと思うのです。

巻き狩りには巻き狩りにしかない醍醐味や奥深さがありますし、それがマッチする人はそのスタイルでやっていけばいいと思います。

理由②「やっぱり、過程をこそ味わい尽くしたい」

大事なことなので繰り返します。獲るまでの過程にこそ意識を向け、その上で最良の結果を生みたい。

昨年の秋頃に忍び猟で山に入ったときに獲ったこのメス鹿。

こちらの存在には気づかれていない状態で獲ったこの鹿の肉の状態が今までに見たことがないほど良かった、という経験が鮮烈に記憶に残っています。

急所に着弾させることができ、いわゆるノンストレス状態で卒倒しました。

忍びのコール猟でもそうですが、
行き当たりばったりではなく(もちろん獣に出会えるかどうかは運次第という部分も否めませんが)、狙って獲ることができた、という実感が得られたことは非常に嬉しかったんです。

今までの観察の蓄積から山を選び、
獣がいそうなポイントを目指して山を歩き、
狙ったエリアで仕留めることができた、
というプロセスがパズルのように上手くはまっていった感覚は何とも言えないものでした。

獲れればいいや、で終わりたくない。

そんな我儘な理想を追い求められるのも単独猟だなと感じたのです。

理由③「“獲らない”という選択肢もアリな狩猟をしたい」

この理由が極めつけな気がします。自分の中の貫きたい最大の“我”です。

狩猟者にあっては「猟果があってなんぼ」という精神は少なからずあると思います。

もちろん自分も例外ではなくて、山に入って時間と労力を使うからには獣を獲りたい。

ただし。

ただし、なんです。

「この状況なら今日は諦めよう」と思う瞬間があれば、「獲らない」という選択肢もアリでいたいのです。

例えば、身の危険を冒さなければならない状況になりそうなとき。

例えば、その行動が狩猟のマナーや法律に反するような状況のとき。

例えば、出会った獣が生まれたばかりの子とその母親であったとき。

自分が抱く感情や倫理や道理。

グループ猟においては、それらを優先することはなかなか難しい。

同じチームでやられている方々にも、同様にそれぞれの求めるものや信条があるわけですし、
チームというか、組織は各人が納得し得るところの総意を最大目標に設定します。

グループ猟だと、その最大目標は「猟果を得ること」でしょう。

故に、その中でたった一人の我儘を通すことは全体の結果(利益)を冒すことになってしまう。

「子連れの鹿だったので見逃しました。」

なんておそらく通用しないでしょう。

まとめ

一口に狩猟と言っても、そのやり方は十人十色。

何を求めて狩猟をやるかが違えば、当然その手法も異なってきます。

この例えが適切かどうか分かりませんが、

「狩猟」を「音楽」だとするならば、

「クラシック」があって、

「ロック」があって、

「ジャズ」があってばったり、

「パンク」があって…

ぐらいに狩猟スタイルの違いがあるんですよね。本当に。

で、どれが優れていてどれが劣っている、とかそういう話ではないんです。

そもそも比較できるものではないので。

結局のところ、「好きか嫌いか」「合うか合わないか」に尽きます。

こればっかりは実際に経験してみないと分からないことですが。

これから狩猟を始めるという方が見てくださっているのなら、
まずは「どんな目的で狩猟を始めるのか」をじっくり考えてみてほしいです。

その上で、実際に様々な狩猟のやり方を見て、感じて、そこから自分のスタイルを定めていくのが良いと思います。

初めから、「このスタイルだ!」と焦る必要は全くありません。