このブログでやりたいこと

このブログでやりたいこと
2019年5月8日
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なぜこの「日々狩りブログ」を始めたのか、今日はそのあたりを書いていこうと思います。

まずこのブログを始めた理由は明確に二つあります。

①生き方の表現手段として活用

私にとって「狩猟」とは、

「こういう生き方もあるよ」

という表現手段の一つだと思っています。

例えば、どこかの企業や会社に入ってその中で実績を収める、地位を高め会社のトップになる、高い給料をもらう、それらも「自分はこういう生き方をしたい」という表現だと思いますし、趣味の世界で自分が没頭できるものを見つけて楽しむのもそうだと思います。

結局のところ、人は言葉や行動などのアウトプットで自分という存在を他者に対して示すほかなく、

一番目立つ部分がその人の「生き方」・「人生」として捉えられるようになります。

それが自分にとっては「狩猟」である、ということです。

狩猟という営みを通して、「自分はこう考えて生きている」とか「こういうことを伝えたいんだ」といったところを表現したいのです。

このブログもその延長線上に存在しています。

「狩猟」を通して何かを伝える、といってもそのやり方は無数にある気がします。

一番分かりやすく、かつ多くを伝えることができるのは「体験」でしょうか。

唯一、相手の五感に働きかけらるのは「体験」だけだと思います。

「百聞は一見に如かず」とも言うように、「体感する」という意味においては体験に勝るものはないと思っています。

ただし、体験には場所的な制約が生まれます。

つまり、伝える側と受け取る側が「同時」に・「同じ場所」に存在していなけらばならない。

一方で「言葉(情報と言ってもいいかもしれません)」はその制約を受けません。

ネットが普及した現代においては、

言葉(情報)は場所的な制約を受けないばかりか、そこにアクセスできる人全員が等しく触れることができます。

体験と比較すれば、伝えられる情報の量と質は圧倒的に劣りますが、

それでも狩猟を通して得たこと、学んだことを適切に言語化することができたとしたら…「それは強いよな」と思ったわけです。

もちろん一歩進んだところを求める人には体験もしてもらいたいと考えていますが、自らの狩猟経験をブログを媒体として言語表現していくことには挑戦してみたいな、と。

それがどれだけの人に、どのように伝わるのかにも興味があります。

ちょっと本題からは脱線

話の腰を折るようですが、余談としてなぜ私が狩猟をやろうという考えに至ったのか自己紹介も兼ねて書いておこうと思います。

過去に(自分の人生においては)大きな挫折をして、

その中で「自分が生きる意味って何だろうか?」と自問自答する時期がありました。

その中で、あるとき自分の価値観を大きく変える出来事がありました。

野生の鳩を捌いて食べる

実家はほどよい田舎でした。
家の周囲は田んぼや畑ばかりですが車を10分ほど走らせれば市街地に行けます。今でこそ野鳥を捕まえて食べるなんてことはありませんが、私がまだ小さかった頃は祖父が鶫の丸焼きを食べる光景を見た記憶があります(ちなみに現在は鶫は非狩猟鳥獣ですので獲ったらアウトです)。

今から数年前、実家で一緒に暮らしていた祖父が、 近所のおじさんから野生の鳩をもらってきました。
その鳩は畑の鳥よけネットに引っ掛かって動けなくなっていたそうです。

祖父から、

「食べてみるか?」

とその鳩を手渡されました。


その鳩は首を折られていたので既に絶命していましたが、まだ体の温もりは感じられました。

羽を毟る。

残った羽毛を焼く。

内臓を取り出す。

部位ごとに切り分ける。

今まで「生き物」だった命が、「食べ物」という食に変わっていく過程を自らの手で行いながら自分の中の変化に気が付きます。

羽を毟る前、パッと見て鳩だと分かる状態のときは、

「これを捌くのか...残酷だしかわいそう」

と思っていました。

が、解体を進めて見慣れたお肉の状態に近づくにつれ、
いつの間にか、

「おいしそう」

という感覚に変わっていました。


人間の感情なんて本当に都合のいいもんですよね。

「かわいそう」「残酷だ」という感情と、「おいしそう」「食べたい」という感情。相反する感情がグラデーションで入れ替わっていく状況が自分の中にありました。まさに「命」が「食」に変わっていく過程。

スーパーに並んでいるお肉も、誰かが育てた動物を、誰かが殺め、誰かが捌き、誰かが商品にしています。そこには「命」→「食」のプロセスがあるはず。
ですが、お金を払えばお肉を手に入れられる「消費者」側の私は、「命」と「食」の間にその過程があることを頭では知りながらも、実際にその過程に五感で触れたときにどんな感情が湧いてくるかまでは理解していませんでした。

それが大きな衝撃でした。人が動物として「生きる」上で、忘れてはならないことのような気がしたのです。

今まで無自覚になっていた自分の感情や価値観の変化、そして目には見えないけれど確かに存在する様々な「つながり」。

こういったことに気づかせてくれたのはこの一羽の鳩でした。

こうした新たな発見を生み出す機会をこれからも自分の中に起こし続けたい、そして自分以外の人にもそのきっかけを与えられる存在になりたい。

そうしてたどり着いた答えが「狩猟」でした。

②ブログ運営での収益化

今は本業の仕事があり、その傍らで狩猟をしています。仕事の空き時間で罠の仕掛けと見回り、休日に鉄砲を持って犬と山に入る、というパターンです。

ですが、狩猟の技術、精神、文化、歴史、もっと見聞を広め、深めたいと考えています。
そのためにはどうしても「時間」が必要です。
今は本業である仕事に大半の時間を割いているので、なかなか満足のいくように没頭できていない状況です。

狩猟をする「時間」と「経験」を得るにはどうしたら良いか考えた結果、本業の仕事はやめ、その分の時間を狩猟に充てる、という結論に至りました。

しかし、そのためには仕事で稼いでいた分のお金を別の方法で稼ぐ必要があります。

そこで「ブログ運営での収益化」に挑戦することにしました。

狩猟者としての生き方・暮らし方を情報としてお金に換えるということです。

なぜブログ運営にしたかというと、理由は二つで、

・狩猟での経験がそのままブログのネタ(価値)になる

・自分が仕事(ブログ運営)に従事していない間もお金を生み出せる

からです(言葉にするのは簡単ですが…そうでないことは承知しています)。

獲った獣のお肉を売って対価を得る(いわゆる精肉加工業)という手段ももちろん考えました。

ですが、

・初期投資がかかりすぎる

・精肉業を本気で(プロとして)やっていらっしゃる人たちには敵わない、もしその競争に参入して勝つつもりでいるのであれば、おそらく狩猟をやっている暇などなくなってしまう

と判断しました。
あとは単純に、売るお肉(商品)を得るために狩猟をするという図式は自分の目指している道ではないなぁと感じたからです。

前述した「狩猟」という世界の経験や情報は希少性が現在はある、と思っています。そこに狩猟者としての新しい生き方の可能性があるのではないかと考えています。

まぁ言葉で言うほど簡単にはいかないと承知しているので、いろいろと試行錯誤しながらになるとは思いますが、その過程も発信していきますので参考にしてもらえたら幸いです。

「言うは易し行うは難し」

とにかく行動あるのみです。

ブログ内容は幅広く

とまぁつらつらとこのブログについて書いてきたわけですが、

方向性としては狩猟のことについてが5~6割、それ以外のこともたまに記事にしていこうと考えています。

また他地域での狩猟事情も発信したいと思っているので、

暇を見つけては取材に行ってきます。そちらもお楽しみに。