養鶏記録4~合鴨を捌いて食べた話~

養鶏記録4~合鴨を捌いて食べた話~
2019年11月13日
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鶏小屋で約2か月間飼育していた合鴨8羽。雄が7羽、雌が1羽。

実際に自分の手で絞めて、捌いて、食べる、ということに関心がある一般の方の参加も募って、
「みんなで合鴨たちを美味しくいただく」というイベントをやりました。

このイベントを『発見の食卓』と呼んでいます。

やってみるまで、みなんさんがどんな反応を示すのか未知数でしたが、結果的に非常に内容の濃いものになっていたのではないかな、と感じています。

畜産の疑似体験

「狩猟」という観点から命や食と向き合うことで得られる学び。
それと等しく関心があったのが「畜産」でした。「畜産」という観点から命や食と向き合ったとき、そこでどんな感情が湧いて、どんな価値観があって、どんな考えが生まれるのか。

その意味で、「食べる」ことを先に見据えて合鴨を飼育することは、
畜産の疑似体験になるのでは、と考えていました。

もちろん、商品価値としての「食」ではないので、経営的な視点が欠落しているのは承知しています。

“飼育する”という行為を経たのちに、その命を自らの手で断ち、食べるというプロセス。

それは畜産のそれと変わらないのではと思ったのです。

参加してくださったみなさんとはまた異なった好奇心を個人的には抱いて、
主催者としてこのイベントに臨みました。

命を断つ

元気に走り回っている合鴨たちを目の前にすると、
「これからこの合鴨たちを本当に殺せるだろうか?」
という不安と緊張が混ざった雰囲気が参加者のみなさんの間に漂っていた気がします。

最初に、みなさんが自分で絞める鴨を自分で選んでもらいました。

今回は、

①合鴨の首を手で捻って頸椎を折る

②失神状態にさせてから首を断って放血をする

という手順で絞めました。

「窒息鴨」といって、首は切らず血を身体に回らせて捌くやり方(ジビエの本場フランスやイタリアではこのやり方が主流だそう)もありますが、血が回った状態のお肉を食材として活かしきれる技量が今はないこと、上手くやらないと「不味い」食材になってしまうリスクがあったので、しっかり放血させる方法をとりました。

頸椎を折り、首を切りおとしたところ

まずは私が1羽の合鴨を締めました。

このときは淡々と、躊躇をせずやります。

「的確さ」「迅速さ」が何よりも重要です。

なるべく苦しい時間が長引かないように。

気が付く間もなく絶命させる、なんていう技術を習得できたらいいのに、と思いますが、その方法はまだ分かりません。
狩猟においてもこのことはいつも考えます。
経験上、そうして得たお肉は段違いで美味しいのです。

目を覆ったり、背けるようなことをする方は1人もいなかったと思います。
むしろ、どう締めるのか、をしっかりと目に焼き付けようと集中を高めている、そんな印象を受けました。

それから、順番に参加者のみなさんにも締めてもらいました。

みなさん、努めて冷静に向き合っていました。

そこに「躊躇」はなかったと思います。

男性も、そして女性の方も。

首を捻るときの頸椎が折れる音と感触、刃が肉に入り込み、そして骨に当たり、ゴトンと落ちる首。

そのすべてがみなさんにとっては初めての体験だったと思います。

命が食になる

締め終わった8羽の合鴨

締めたあとは、腸を抜き、羽を毟り、捌いていきます。

この時点で、どこかみなさんの表情に安堵感が見られました。

これが意味するところは、
「命と向き合うヒリヒリしたパート」は抜けたという感覚があったからなのではないかと思います。
多くの方の中で、さっきまで「命」として扱っていた合鴨が「食」という存在に切り替わっている(あるいは切り替わり始めている)段階だったのかもしれません。

命と食の線引きというのは非常に曖昧なもので、
国、文化、生活環境、育ってきた家庭…つまり、人によって全く違います。

そして、固定のものではなく、経験によって変化します。

この反応を直接感じられたことはかなりおもしろかったです。

「おもしろい」というと語弊があるかもしれませんが、
その違いに触れる瞬間というのは、自分の中でも変化が起こる瞬間、発見がある瞬間でもあるからです。

湯せん

70~80℃のお湯に10秒ほど鴨を沈め、その後ビニール袋に入れて1分ほど蒸らして毛穴を開かせます。
こうすることで羽を毟りやすくなります。お湯が熱すぎたり、浸ける時間が長すぎると肉が加熱されてしまうので注意します。

残った細かな羽毛はバーナーで焼いていきます。
このときに、皮が焦げる匂いを嗅いで、
「焼き鳥の匂いがする!」
と、みなさんが口々に言っていました。

まさにそんな香りがします。
五感で食になっていくプロセスを体感しています。

ここまでくるともう完全に「食材」なのではないでしょうか?

下には、心臓(ハツ)と砂肝がみえます。

お肉を取り、残った骨は鴨汁の出汁をとるためにガラとして利用します。
畑で引っこ抜いてきた長ネギの青い部分を一緒に入れます。

沸騰したら灰汁をとって、弱火~中火でじっくり出汁をとります。

1時間ほど煮込むと、鴨のガラや皮から出た脂が表面に浮いてきて、出汁は黄金色に澄んでいます。
辺りに鴨出汁のいい香りが漂っていました。

捌いた鴨肉は薄切りにして、最後に投入し、余熱で火を通します。
血抜きが非常に上手くできていたので、お肉に血生臭さ(レバーのような風味がします)は残りませんでした。

みなさん、本当に上手く締めることができていたんだなぁ。

2羽分はまるごとダッチオーブンでローストにしていきます。

鴨の中を水で綺麗に洗って、水気をしっかり切ったら、中に冷凍ピラフを詰め込んで爪楊枝でお尻部分を塞ぎます。

表面全体に、

・オリーブオイル

・塩

・スパイスやハーブ類(タイム、ローズマリー、胡椒などなどお好みのもで)

をしっかり刷り込みます。

ダッチオーブンをプレヒート(10~15分ほど予熱)させたあと、
底にオイルと塩をまぶした野菜(ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ)を敷き詰め、その上に合鴨を載せて蓋を閉め1時間ほど加熱します。

蓋の上にも炭を置き、上下からじわじわと熱を加えます。

調理の工程もすべてみなさんの手で進めてもらいました。

出来上がりがこちら。

ローストダック

鴨汁

鴨汁にはお蕎麦を入れて、鴨南蛮風に。

どの料理も非常に美味でした。
あっという間に鴨料理は売り切れでした。

全身体験

料理を食べ終わったあとに、

「疲れてとても眠い…」

と言っている方が何人かいらっしゃいました。

そうなんです。お肉を得るために、命を断ち、捌くことはかなりの神経と体力を使っています。

今回は合鴨だったので、何かスポーツをやるときほど力はつかっていないにも関わらず。

これは狩猟において、獣を捌くときも同様です。

1頭の鹿や猪を解体し終わると、どっと疲れます。捌くコツを覚えてこなすスピードが上がり、軽減されたとはいえ、今でも解体直後に睡魔に襲われます。

体力ももちろん使いますが、神経(精神?集中力?)の方をよっぽど消耗している気がします。

命を扱うこと、というのはそういうことなんですよね。

だから、お腹は減っていたはずだけど、一人当たりの量はみなさんそれほど食べられていなかったと記憶しています。
人数がいたので、完食はしましたが。

要は、食べること(咀嚼、消化、吸収)に充てる血液が足りていないんだと個人的には推測しています。
血液の多くは脳のリカバリーに持っていかれているような気がするんです。

想像力が広がること

私は、今回のようなイベントや、狩猟での経験を通じて、
「命の重さ」とか「食べ物を無駄にしないように」とかいったことを強く訴えていこうというつもりは毛頭ありません。

そういったことは個々人が自由に感じ、心に留めてもらえればいいと思います。

アプローチしたいと思っていることは、


その人の見ている(捉えている)世界の半径がちょっとでも広がること。

「美味しい」というものは「美味しい」だけで存在し、完結しているのではありません。

「かわいそう」、「残酷だ」、「難しそう」、「なるほど」、「疲れる」、そして「美味しそう」。

それはいろんなものがぎゅっと詰まった球のようなものの、ある一点でしかありません。

参加してくださったみなさんは、
日常生活において、
食べものを目の前にするとき、
スーパーでお肉を手に取るとき、
今、目の前に存在しているもの(結果)につながっているプロセスに少しでも思いを及ばせてくれるのではないでしょうか?

その瞬間に何かが劇的に変わるわけではありません。

それでも、確かに、その人の見えている世界は広がっているはずです。
想像力で以て、目には見えていないけれど、あるはずのつながりを見ているはずです。
その「広がり」がもたらす想像力の蓄積は、また別のどこかで、芽を出し、今度は大きな実を結ぶかもしれません。

私自身が鳩を捌く経験を通じて、この感覚に触れました。そして見える世界が広がりました。

だとしたら、他者に対しても自らの経験と同様に、見えている世界が広がるきっかけを提示することはできないだろうか?

そのことを私はずっと探し求めています。探求の旅が生きがいになっています。

今回のイベントを通じて、私自身もその答えに近づく大きな発見を得られました。

参加してくださったみなさん、8羽の合鴨たち、ありがとうございました。

Photo by yoshimi nakata