隔たりとなりえるもの②

隔たりとなりえるもの②

2020年6月30日
狩りのこと。

人が主で、犬は従者。猟師と猟犬の一般的なイメージってそんな感じじゃないかと思う。

人が犬を使役する。“主従関係”という言葉がぴったり当てはまる。

ぼく自身も、それがあるべき姿だと思っていた。

自分の意図に沿うように犬を使役できなければ、理想の形で獲物はとれないのだと、そう思っていた。

ほんの1年くらい前までは。

三重にいる猟師さんと出会い、その固定概念は崩れていく。

人の犬に対する姿勢、態度、言葉、感情、それらすべてが猟犬としての性質を形成していくことを知る。

そういった猟師と猟犬の関係性の中で狩猟を実践している人に出会ってしまったからには、
否が応でも自分の中に巣くっていた常識を塗り替えざるを得ない。

Kさんもまた、“そういう人”だった。

「犬の散歩はする?」

話の中でKさんから唐突に聞かれる。

猟犬としての能力や、狩猟の実際の現場での立ち振る舞いについて聞かれるかと思いきや、
かなり日常的なことを質問されて、少し驚く。

その質問の意図がつかめないまま、答えた。

「散歩はします」

「どうして?」

「散歩に連れ出してやらないとストレスが溜まると思いますし」

「じゃあ散歩でリードはつなぐ?そのとき犬が引っ張ったら、どうする?」

「リードにつないで、引っ張ったら止まってこちらに注意を向けるまで待ちます」

「どうして?」

「…」

次の言葉がすんなりと出ない。考え込む。

散歩をする意味。リードをつなぐ理由。犬たちへの接し方のひとつひとつについて。

そしてぼんやりと見えてくる。犬に対する自分の行動の根底にあるもの。

Kさんの言わんとしているところも、やはりそこだった。

「そりゃ言うこと聞くよね。繋がれてるし。犬からしてみれば主人の言うことを聞くしか選択肢はないんだから。でもリードがなかったら言うこと聞く?散歩でやっていることが山の中でも通じると思う?」

答えは明確だった。ノーだ。

「犬って基本は自分の好きなようにしたい。猟犬としてもそう。獲物を見つけたり、追うのは本能的にやってる。本来そういう性質と能力を持った生きものだから。ぼくがやる狩猟では、犬のその特性を最大限発揮させることが肝になる。人は猟犬として犬を利用し、犬も自分の楽しみを満たすために人を利用する。人の知識や経験や、あと鉄砲とか。犬だけではできない領域のことは人の力を借りる、という認識を犬にも持ってもらう。そういう人と犬の関係性で成り立つ狩猟がぼくは好きかな」

Kさんの発する言葉ひとつひとつをゆっくり咀嚼しながら、飲み込んでいく。

時折、魚の骨が喉につっかえるみたいに、ちくりと刺さる言葉。

それは多分、ぼく自身がそうしたかったのだけど、どうしたらよいのか分からない、だから実践できていない、というもどかしさを感じていた部分だ。

それを体現している人が、目の前にいる。純粋に心が躍った。

「だから、人の勝手な思い込みや根拠のない余計な知識でしつけをすると犬はおかしくなる。のびのびとさせてやって、そうすれば犬はちゃんと本来備えている能力を発揮する。その中で、人ができることも見せて、理解してもらう。そのために、とにかく一緒に山を歩くこと。それがやっぱり一番の訓練になるかな、とぼくは思うけどね」

人の意図と行動、そして犬の意図と行動。

両者が違う方向を向いていては、単独単犬で獲物を獲ることはできないだろう。

人と犬、双方が“馴染んで”いくこと。

人は犬を理解し、犬は人を理解し、お互いが交差できる点を探していく。

その過程を淀みなく流れさせるためには、人と犬の間に余計なものを介入させない。

“隔たりとなりえるもの”を極力取り払っていくこと。

それは、人の勝手な思い込み、根拠のない余計な知識によってなされるしつけだと思うとKさんは言っていた。

自分なりに解釈するなら、人が持つ、“犬に対する身勝手な期待の押し付け”なのかもしれない。

それは、まさにぼく自身だった。

自分の目指す狩猟のスタイルに見合う猟犬を人が“育てる・つくる”という考え方。

必然的に、犬に対してはマニュアル的な態度で接することになる。

そして、マニュアルにそぐわない行動や態度は抑制していく。

それは、ある面では必要なことでもあるのかしれない。

ただここで思うことがひとつ。

それだと人の思考や感覚が及ぶ範囲内にとどまる猟犬にしかならないのではないか、ということ。

犬たちは、人にはない、優れた感覚や能力を備えている。野生的な勘とでも言うのだろうか。

それを発揮してもらうには(人ひとりと犬一匹でやる猟では欠かせない要素だと思っている)、ある意味、人の抑圧的な意図からの解放が必要であると感じる。

Kさんの観察と洞察はとてもつぶさで、鋭く、的確だ。

三重の猟師さんもそうだった。

猟犬に対する接し方、行動、そのひとつひとつにしっかり、意味と理由がある。

ここからは勝手な解釈だが、

犬は言葉でのやりとりができないから、その分、人の行動、態度、感情を敏感に読み取る能力に長けていると思っている。

故に、人の何気ない一挙手一投足が、自分が思う以上に、意味を持ってしまうこともある。

だから、深く考えるのだと思う。慎重に。この行動が、この態度がどういう受け取り方をされるのかを。

そういった姿勢からは、学ぶことが本当に多い。

何も犬の話だけにとどまったことではない。当然、人と人の関係においてだって当てはまる。

「過去に犬を一匹ダメにしてしまったことがある」

Kさんはこんな話もしてくれた。

愛玩犬の躾訓練でも使われることがあるが、電気ショック首輪というものがある。

言うことを聞かないと首輪に電気が流れて、犬に「それをすると痛い目に遭う」というインプットをする。

そうやって人にとって都合の悪い犬の行動を抑制していくものだ。

猟犬のトレーニングでも同様の訓練法があると聞いたことがある。

Kさんも初めて飼った猟犬に電気ショック首輪を使ったそうだ。

「ダメになってしまった。自ら行く(獣を索敵したり、追うこと)ことは絶対にしなくなった。犬の中の何かが壊れてしまったんだと思う。申し訳ないことをしてしまった」

Kさんの言葉には芯がある。けれど、決して“それが絶対にいい”ということは一度も言わなかった。

必ず、「そう、ぼくは思うけどね」と付け加える。

断定を避けることは、ぼくはずるいことだとは思わない。

“決めつけない”という柔軟性の表れ、あるいはKさんの持つ優しさか。

猟犬たちとの接し方は、人に対してでも同じなのだな。

(つづく)